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『UN-GO』と『輪るピングドラム』が終わりましたなー。
『UN-GO』は最後までらしい感じで面白かったですね。
ああ来たかとは思いましたが、思ったとおりのラストですがすがしい感じ。
映画版見れなかったのが痛いですが、後で必ずみることにします。
『ピングドラム』は。
あれは賛否両論割れるでしょうね~。
いきなりたたみますよ
割れていい作品です。(苦笑)割れたほうがむしろ正しいというか。
うみねこもそうですけど、そのラストをとるんだ凄いな、という感じでした。
一緒に見ていた旦那君が、わたしの解説聞くまでポカーンだったので、
ええ?ってなっている人がいるのがリアルに理解できたり。
前半のパートが多いといっている人も多そうですが、
前半が苹果ちゃんのパート、後半が陽毬ちゃんのパートだし、
苹果ちゃんと晶馬君のあのやりとりがないと最終回まで繋がらない。
最低限の伏線はきっちり拾った上で、本当に純粋すぎる演出。
説明を最後までされないと満足できない『お客様』な視聴者には
唐突な展開を受け入れる気はないでしょうから、
あそこまで純粋に昇華されてしまった演出では何が何やらだと思います。
しかし陽毬ちゃんがウテナでしたね。
冠葉君、君がアンシーか。
冠葉っていう名前はそういえば茨を連想してしまう自分がいますね。
ウテナ最終回って死ぬほど見てるんですけど、
やっぱりテーマは同じだったのかな。
愛を与えようとしても、受け取ってもらえないと意味がない。
与えられた愛を受けることは、その相手を自分の中に受け入れることでもあり、
それは罪の痛みを愛した相手に与えてしまうことでもある。
だから冠葉は対象を愛しても、愛されることをずっと拒否してきた。
冠葉を愛する陽毬じゃなかったから、惜しみなく愛を注げていた。
でも晶馬は、陽毬は自分を生かしてきた愛=命が冠葉が分けてくれたものだと気付いた。
自分的には、愛=命を冠葉に返すというよりも、
冠葉の背負ってきたものを皆で背負おうとした。
だから愛=命が形になった。それがピングドラム。
うみねことこのへん主題が近いのかな。
愛がなければ、観えない。
一人分の愛=命がなければ、愛を受ける資格がない。
一人分の愛=命を三人で分けてしまったから、どうしても足りない。
それを成すためには奇跡=運命の乗り換えが必要。
ああ、近いな。
だからすとんと腑に落ちたのかな。
陽毬と晶馬の愛=命が冠葉に戻されたことで、
冠葉の人を愛する気持ちが満たされた。
苹果ちゃんの言葉で始まった運命の乗り換えを、
愛が満たされたことで受け入れることが出来たからこそ、
冠葉は陽毬ちゃんに命を分け与えることが出来た。
そして、晶馬は陽毬を大切に思う気持ちを冠葉に託すことが出来たから、
今一番大切に思っていたのが誰だったか受け入れることが出来た。
離れていく運命だとわかっていたから、苹果の焔を引き受けて、
消えたのではなくて、運命の分岐点の切り離しで別の運命に乗り換えた。
乗り換えたのは陽毬や苹果じゃない。
陽毬や苹果は元の世界に残されていて、眞悧の呪いや、
ひとつの林檎を分け与えたことでゆがんでしまった世界と一緒に冠葉と晶馬は旅を続けている。
代償で小さくなってしまったのではなくて、
乗換えをした結果、二人が林檎を初めて食べたあの頃に戻った。
(その間にあった出来事はなくなってしまった)
んじゃないのかなあというのが個人的な解釈です。
若干どころかかなりうみねこ寄り。
なんというか、眞悧=ベルンカステル、桃果=ラムダデルタよりな
解釈をしてしまっているあたりがもう毒されてます。いやですねえ。
真砂子が夢オチとしてうっすら覚えていたり、
多蕗とゆりが覚えているのも
扉は表に一人、裏を二人で閉めるのが作法でございますのでって感じもしたり。(苦笑)
多分歩いていったあの二人は何も覚えていないんだろうし。
でも二人でこれから新しい人生を始めるんだから忘れている方が
よっぽど健康的ですよね。
記憶はなくても、愛があったことは残っていた。
それでいいんじゃないのかな。
何だか言葉にすればするほど香りが逃げてしまうようで
自分の文才のなさに絶望してみたりして。
こっからは自分の考察じゃないんですけど、
カンパネルラ(冠葉)とジョバンニ(晶馬)の名前をもじったもの、
という考察を見て『やべええええ』ってなったり、
(第一話の子供が話してたアレが銀河鉄道の夜だったのは知ってましたが)
第一話のごみばこの考察で、
資源ごみ=一号=ガラスになって砕け散った冠葉
燃えるごみ=二号=苹果の焔を身代わりに引き受けて燃え尽きた晶馬
燃えないごみ=三号=生き残った陽毬
を暗示してるって考えに『すげえええ』って唸ったり。
世の中凄い観察眼を持った人がいるものです。
思考停止は死を意味する。ああ、確かにそうだな~。
どこまでもうみねこに毒された自分です。
ああ、彼岸花読みたい。(まだ読んでない)
時間がたってから第一話から見直したいアニメになりました。
しかし今年のアニメ本当に豊作でしたな!
リアルタイムでこんなにアニメ見たの数年ぶりです。
まどマギにしろ、ピングドラムにしろ。後、あの花もね。
ウテナやエヴァが自分の中に影響を与え続けているのと同じように、
暫く余韻は残りそうです。
でもピングドラム見ながら涙が止まらなかったのは、多分、
並行するように脳内でウテナの最終回が流れてしまっていたせい。
姫宮ぁぁぁぁ!!と叫び手を伸ばすあのウテナの声は、
自分の中で消えることはないと思います。
川上さんも今年逝ってしまわれましたが、あの声は死ぬまで多分消えることはない。
19日に書いた同門の『いつかねむるひ』に書いたとおりです。
(さりげなく、宣伝)
楽しい話じゃないんですが、あれは意外に気に入っています。
拍手お返事をさりげなくここに書きますが、あれに感想を頂けて嬉しかったです。