日々の萌えなどつらつらと。
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夏雪ランデブーが良くて、書いてみたかったことを
書いてみようかなという気になりました。
忍人のことです。
自分のサイトのくせに、自分の書きたいことが
今までなんとなく書けていなかったのです。
ハッキリ言えば遠慮してました。
でも遙か4も発売してかなり経ちますし今なら言えるかな。
忍人が不幸だと思いたい人は読まないほうが吉です。
たいした内容じゃないと思いますが
ずっと明言を避けてたことを書きます。
自分は忍人を不幸だと思ったことは一度もありません。
生きていれば幸せなこともあったでしょうけれど、
生きて幸せになるべきだったとは思いません。
勿論生きてて欲しかった。
でも彼を不幸だとは言いたくない。
自分が好きな男の一生を不幸であったとどうして言える?
私にはその方が疑問です。
千尋=プレイヤーではありません。
千尋≒プレイヤーです。
忍人が全て捧げるに値する女である千尋が、
忍人の死で潰れてしまうとは思いません。
勿論悲しむでしょう。
でも彼女は女王として治世を全うするでしょう。
ですがプレイヤーは違います。
忍人とED後に幸せになりたかった。
幸せになるべくゲームをプレイしているのに、
それが用意されていないことを憤る。
それは当然の権利です。
だってネオロマなんですから。
だから
『忍人を幸せにしたい』と誤魔化すのをやめたらいいと思う。
『忍人と幸せになりたい』と言えばいい。
忍人と幸せになりたかったと言ってくれれば、
そうだねと同意できます。
でも幸せになるべきだったと口にするのは傲慢だと思う。
……幸せに出来ると豪語できる人の自信が羨ましいです。
正直に言えば、
他の全てのルートでの忍人の生存を疑っています。
忍人EDのあの場面は等しくどのルートにも起こりうるものだと思うので。
忍人EDがああなったのは、忍人を気にかけていたからこそ、
忍人の最後を垣間見ることが出来たのではないかと思うくらいです。
ひぐらし、うみねこの読みすぎですね。
こんな考えを持っていると忍人の話は『花塵』『天上ノ花』以外は
書くことは出来ないのです。
大団円もスチルは好きですが、忍人の下半身が透けていないことを
祈るくらいなので納得していません。
ですが、葛城忍人というキャラクターの純粋さ、美しさは
自分にはどうこう出来ないものでした。
『花塵』を書いた時思い知ったのは、忍人は限りなく完成されていて、
自筆によってどう変えようとしても一ミリも動かすことはできないということ。
でも去年の遙か祭で感じたのは、
自分の葛城忍人像と、中原さんと共に舞台に下りてきた葛城忍人は
そう遠いものではなかったということです。
圧倒的な存在感で舞台に降り立った葛城忍人を、その場で感じられたことは
幸せなことだったと今でも思っています。
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